
目に見えないことを 大切にしたい
株式会社ニイラ 精神保健福祉士
和賀 未青

「話すことは、身体から離すこと」精神保健福祉士として、身体に潜る声を聴き続ける
キャリア
和賀 未青
新卒で、精神科病院に勤務 ↓ 3年目に、大正大学大学院 文学部 社会福祉学専攻に働きながら夜間と土曜日に通学し、修士課程を修了 ↓ 精神保健福祉士が国家資格化し、就職後に資格を取得 ↓ 24年間に渡り、デイケア、医療相談室、生活訓練施設、グループホーム、区の指定管理施設など様々な医療・福祉現場のなかで精神保健福祉士の役割を担う ↓ その間に、結婚、2人の子どもの出産とライフステージの変化も経験 ↓ 2019年、精神科病院を退職 ↓ 障害福祉サービスを提供する会社を経験後、2020年に株式会社ニイラを立ち上げる。「ニイラ」はサンスクリット語で「青」
1#なにゆえ私が福祉職
「話すことは、身体から離すこと」を掲げ、対話を通じて心をケアする相談・伴奏サービス「HUG」を提供している、精神保健福祉士の和賀 未青さん。和賀さんはこれまで、精神科病院を拠点に精神保健福祉士として約30年にわたり現場と向き合ってきました。そんな長いキャリアの後、父の闘病と死をきっかけに起業を決意。
2024年の「#なにゆえ私が福祉職」キャンペーンでは、自身が福祉職になった理由として「目に見えないことを大切にしたい」と投稿してくれました。

精神保健福祉士としての歩みを土台に、「家族が本音を語れる場」をつくるべく新たな挑戦を始めています。
2人に対する不思議さ・わからなさ。壮大な人間関係のなかに飛び込んでみたかった
「福祉の道に進もう」そう決めたのは、高校2年生のときでした。たまたま寄った書店で『福祉が人を生かすとき』『福祉が人を殺すとき』という正反対のタイトルの本を見つけたんです。幼い頃から「人は人によって傷つき、人によって癒される」と感じてきた経験が、そのタイトルに凝縮されているような気がしました。
実は私の母は、私が生まれてすぐに血液の病気を患い、入退院と服薬を続ける生活をしていました。ただその病気は、見た目では分かりません。子どもの頃、母と外出するたびに父から「移動中、ずっと立っていると辛いからお母さんの席を取ってあげて」と頼まれ、電車やバスで空席を見つけると「ここに座って!」と母に声をかけていました。そんな私たちの様子に、「若いのに」「子どもを使って席を取らせるなんて」と冷たい視線を向けられたことは一度や二度ではありません。
目に見えないものは“ない”ことにされてしまう。いろんな事情や背景があるけれど、見えている一部だけが切り取られて伝わってしまうと感じていた一方で、「どうせ分かってもらえないから」と嘆く母に対しても、「でも言わなきゃ分からないよなあ」と思う気持ちもありました。そうしたことから、幼心に、人間に対する不思議さやわからなさを感じていたんですよね。
そして進路を考えていた高校2年生のときに、書店で2冊の本に出会いました。私たちは常に人と関係しながら生きていて、人間関係から逃れることはできない。人を生かすことも殺すこともできる福祉は、壮大な人間関係の中に入っていく仕事だと思ったんです。

3人と人とで丁寧に関係を築く。私が探していたものが、ここに
大学進学後、先輩から「学生のうちにいろんなサービスや施設を経験するといいよ」とアドバイスされ、さまざまな現場に足を運びました。アルバイト、ボランティア、実習などで体験するなかで、大学3年のときに実習先だった精神科病院で「ここだ」と感じたんです。
当時の精神科病院は周囲からの偏見や差別もあり、社会から断絶されているような場所でした。しかしながら患者さんは穏やかで温厚な人ばかり。故郷や家族などの話を一緒にして、最後に「聞いてくれてありがとう」と言われたんです。「聞いただけなのに!?」と驚きつつも、私と目の前の人、お互いがただそこにいるだけで関係性を築ける仕事は他にないと感じました。就職のことを両親に話したときは心配されましたが、「いろんな人がいてすごく勉強になるんだよ」と自信を持って答え、精神科病院に就職しました。
この仕事はまず、初診で来院された患者さんの話を聞くことから始まります。「今日どうして来られたんですか」と問いかける間に、雰囲気、視線、体つき、匂い、服装、声の大きさや言葉選びなど、身体から出る情報を敏感に察知するんです。気持ちや感情は見えなくても身体からたくさんのサインが出ているので、医師に事前の情報を伝えて、医師の診断に繋げます。
新卒から24年、私は精神科病院を拠点に、精神疾患の再発防止や社会復帰を目的とするリハビリテーションのひとつである「精神科デイケア」や、精神疾患の患者さんのための生活訓練施設、グループホームなど、さまざまな現場を経験。そのなかで施設の副施設長や施設長も務めてきました。患者さんが自立した生活を送れるよう支援計画を立てたり、必要に応じて家族や他の医療機関と連携を図り、患者さんの話を聴くことが私の役目です。

4父の死をきっかけに、家族の声を受け止める場をつくる
2019年に退職し、翌年独立して会社を立ち上げました。現在は家族の病気や介護、終活、家族関係の悩みなどに対話を通じて伴奏する「HUG」というサービスを提供しています。「伴走」でもあり、相談者と一緒に音を鳴らすような感覚から「伴奏」としています。
独立のきっかけは、父のがん闘病と死でした。父が闘病するなかで、家族としての悩みや悲しみ、葛藤を誰に相談して良いか、私自身わかりませんでした。そしてそれは、これまで病院で出会った患者さんとその家族も同じだと気がつきました。なかには、入院の手続きをしようにもなかなか筆が進まず、私が「書類は置いて、今話しましょう」と声をかけると泣き出してしまう家族に出会ったこともありました。何十年分の家族の話を聞かせてもらい、「家族が本音を話せる場がこんなに少ないなんておかしい」と感じたんです。
「やっとの思いで来院した」その気持ちって、話せるときに話しておかないと「もういいや」って流れていってしまうんですよね。でも、「もういいや」って思ったこと、我慢したことは、忘れるわけではありません。言えなかったことや我慢は忘れたふりをしていても、ミルフィーユみたいに重なって心や身体に溜まっていくもの。そんな家族の声を、私は受け止めたい。意識が朦朧とする中で父が何度も「あぁ、いい人生だったな」と口にするのを聞き、「私は今、自分が死ぬことになったら同じ言葉を言えるだろうか」と自問自答し、起業の決心が決まりました。

5人生を重ねるほど、広がる仕事だから

この仕事は、人との相性が良くも悪くも影響し合います。だからこそ大切なのは、体調やメンタリティを含めて自分を整えておくこと。とはいえ、自分自身にもいろんな波がありますよね。私は、落ち込んでいるとき、イライラしているとき、寝不足のとき、そういう波を自分で把握しておくことを心がけています。気分を隠して淡々と接しても、それが伝わってしまうのがこの仕事。病院の勤務時代に「今日あまり元気ないね」と言われたときは、患者さんの状態や状況をきちんと把握したうえで「そうなんだよ、寝不足でさ」と素直に伝えることも(笑)。患者さんに人生があるように、支援する私たちにだって人生があることをこの仕事が教えてくれているような気がします。
精神保健福祉士は、自分の人生を重ねていけばいくほど、広がりをみせる仕事です。新人だからダメ、未経験だから何もできないということはありません。その時々の感性と人生でできることが必ずある。自分の生き様が仕事にすごく反映されるから、自分で自分を満たしておく必要があります。
いつか、精神保健福祉士のサポートが必要とされなくなる社会が理想ではありますが、一方で「相談すること」がとても遠い人が多いのが現状です。自分の心根を話すこと、誰かに助けを求めることが苦手な人がとても多い。話すことで、身体に溜まった澱のようなものを離したら、もしかしたら自殺を減らし、その人が持つ可能性を守るサポートができると信じています。何かのタイミングで立ち止まってしまったとき、その瞬間を逃さず一緒に立ち上がる。これからも、そんな存在でありたいと思っています。

